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社長ブログ 2009年12月アーカイブ

宗教豆知識『仏教』⑫浄土真宗の歴史

【浄土真宗の歴史】

浄土真宗は親鸞によって開かれました。
9才の時、比叡山に天台宗の一僧侶として出家した親鸞は、
29歳の時に山を下り、聖徳太子の啓示を受け、
法然を訪れてその弟子となります。

法然と出会うことで念仏に触れた親鸞は、
かれを生涯の師と定め、一路念仏の道に突き進みます。

しかし、既成仏教の弾圧により、
法然は土佐に流されてしまい、
親鸞も越後に藤井善信の名で流されて還俗させられます。

流罪後まもなく恵信尼と結婚をして子供ももうけますが、
自らを愚禿と呼び、非僧非俗の自由な立場で仏道を歩みます。

やがて法然は許されて京都に戻りますが、
親鸞は越後に残り、二人が再び会うことはありませんでした。

親鸞は、師がいなくなった京都に戻ることなく、
新天地の関東に向かい、常陸を中心に念仏の教えを広めます。

こうして弟子たちも育成されてゆき、
浄土真宗の本典である『教行信証』が著されます。

60歳の頃に再び京都へ戻り、
精力的に数多くの著作を完成させ、
親鸞聖人は90歳でその生涯を閉じました。

親鸞没後、京都に廟堂が建立され、
これが後に本願寺となり、教団名ともなります。

8代蓮如の時に本願寺は大きく発展しますが、
秀吉の時代に現在の西本願寺の地に移り、
また、家康の時代に大谷派本願寺(東本願寺)ができ、
ここに東西本願寺が両立することになったのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑪浄土宗の教え

【浄土宗の教え】

浄土宗の本尊は阿弥陀仏で、経典としては
無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経があり、
通常これらを浄土三部経と呼んで重んじています。

阿弥陀仏は数々の仏の中で、
平凡な人々をどのように救えるかを真剣に考えた仏です。

仏(如来)となるにあたって48の誓願をたてたとされていますが、
その18番目で、私の浄土への往生を願い、
心から念仏を唱える者を、必ず救済すると誓っています。

こうした阿弥陀仏に象徴されるように、
浄土宗の根本の定義は、
我欲にとらわれた凡夫であることを反省し、
口に「南無阿弥陀仏」と唱えれば、
誰でも仏の救いにあずかり、
現世で平和で心豊かな生活をおくれるばかりではなく、
未来も極楽浄土へ往生できるという教えです。

念仏を唱えれば、善人は善人として往生し、
悪人も悪人ながら往生するという平等救済の考えから、
我々はみな凡人であって、
凡人もみな浄土へ往生できると説かれているのです。

法然は80歳で往生する2日前、
一枚の紙に最後の教えをしたためました。

念仏の肝要な教えを記したその『一枚起請文』では、
ただ極楽浄土への往生を願い、
ひたすら念仏を唱えることの大切さが説かれています。

これを「専修念仏」といいますが、
そこで求められているのは、
信仰上の様々な心得や唱える念仏の回数ではなく、
阿弥陀仏の救いを求める切実な思いなのです。

こうした法然の教えは弟子たちに受け継がれるのですが、
親鸞の浄土真宗もそのひとつです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑩浄土宗の歴史

【浄土宗の歴史】

浄土宗を開いた法然の存在意義は確かに大きなものですが、
そこに至るまでは他宗派にも増して、様々な僧が関わっています。

まず、インドの経典を中国語に訳す上で功績のあった鳩摩羅什、
同じ頃に無量寿経や観無量寿経などを通じて浄土教の基礎を築いた曇鸞、
これに続いて浄土信仰を深めた道綽、
そして、その弟子で浄土教を大成させた善導らがいました。

これらの高僧がいなければ、今日の日本に
浄土教(阿弥陀仏の浄土の教え)は伝わらなかったでしょう。

浄土教は、聖徳太子や聖武天皇、あるいは最澄らによって、
古くから日本にもたらされてはいました。

また10世紀に活躍した空也や源信により、
浄土の教えは注目を浴びもしました。

しかしながら、それらは貴族趣味的なものに止まり、
庶民の苦しみを救うものとなるためには、
法然の出現を待たなくてはなりませんでした。

法然は13歳にして比叡山延暦寺に入り、天台宗の教えを受けます。

やがて源信の『往生要集』や善導の『感無量寿経疏』を読み、
誰もが容易に救われると説く念仏の教えの正しさを確信し、
さらに善導大師の夢告もあり、
山を下りて念仏の教えを広めることになります。

その後、既成仏教より弾圧を受けるなどもしましたが、
浄土宗は急速な広まりをみせ、
法然は『一枚起請文』を最後の教えとして、80歳で入寂しました。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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墓石の選定において耐震性能が大きなポイント!(神戸市西区/水口様)

ansin.chirashi.jpgのサムネール画像阪神・淡路大震災の被害を受けた両親の墓を、昨年12月に神戸市の鵯越墓園において建立することができた。

現在、日本は地震の活動期入っていると言われており、耐震設計などに係わっている仕事柄、墓石の選定において耐震性能がひとつの大きなポイントであった。

 

そのため第一石材さんでは、
いち早くから独自の免震対策を取り入れられていたため、
私の意向に合致しておりました。

また、施工後にシーリング材の欠落箇所を指摘させて頂いたところ、
早急に対応して頂いた。

その結果、開眼法要も無事終えることが出来たことに感謝しており、
両親も喜んでおります。

平成21年12月20日 水口和彦様より

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宗教豆知識『仏教』⑨曹洞宗の教え

【曹洞宗の教え】

臨済宗と同じ禅宗であり、座り方は同じであっても、
臨済宗と曹洞宗では座禅の心構えが少し違います。

臨済宗の禅は、全身全霊で公案と自分とが一体となるように
努力することが求められますが(公案工夫)、
曹洞宗では「只管打座」、
すなわちただひたすら座禅することのみが修行であり、
焼香・礼拝・読経などは必要とされていません。

このように座禅のみの座禅が只管打禅ですが、
種々の思慮を絶って昼も夜もただひたすら座ることで、
心身の統一、安定、調和が図れるとし、
こうした身心脱落によってかえって宇宙の姿、
すなわち「即心是仏」が得られるとしています。

煩悩に汚れていない心、その心はすべての存在であり、
すべての存在はその心であり、自己と宇宙とが一体となった状態、
それが即心是仏なのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑧曹洞宗の歴史

【曹洞宗の歴史】

広義の禅宗とは、座禅を行うことによって
仏の悟りの境地を実現しようとする教派のことです。

臨済宗と曹洞宗がその代表ですが、
正確に言えば「禅宗」という宗派が存在する訳ではありません。

6世紀前半に達磨が中国に伝え、
中国および日本の禅宗の始祖となりました。

栄西に師事した道元は臨済宗の禅宗を学びましたが、
23才の時に入宋して如浄禅師に会い、
印可を得て帰国した後、
興聖寺や永平寺などをはじめとする
禅の道場としての寺院を建立しました。

また、仏法における座禅の位置付けを説き明かした
『正法眼蔵』などの膨大な著作をまとめるなど、布教伝道に務めたのです。

道元亡き後の曹洞宗は一時混乱の様相を呈しますが、
瑩山がその収拾にあたり、曹洞宗の教えの
さらなる大成と幅広い布教に務めました。

そのため、道元を高祖、瑩山を太祖と呼び、
合わせて両祖大師と呼んでいます。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑦臨済宗

【臨済宗の歴史】

広義の禅宗とは、座禅を行うことによって
仏の悟りの境地を実現しようとする教派のことです。

臨済宗と曹洞宗がその代表ですが、
正確に言えば「禅宗」という宗派が存在する訳ではありません。

6世紀前半に達磨が中国に伝え、
中国および日本の禅宗の始祖となりました。

日本に禅宗が伝来したのは鎌倉時代のことです。
天台宗を学んでいた栄西は、
宋に渡った際に禅と出会い、
日本に帰朝後、九州に報恩寺や聖福寺を開きました。

現在では14の本山を持ち、臨済宗14派と呼ばれますが、
これらは法系の上では一筋に帰するものであり、
対立的な意味はありません。

【臨済宗の教え】

臨済宗では、寺院建立の際の様々な縁に応じて、
釈尊をはじめ、阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩などが
本尊としてまつられていますが、
座禅を行うことが仏の悟りに通じるという考え方から、
本尊は一定していません。

仏心を持って宗とし、無門をもって法門としているため、
本尊にも経典にも制約がないということが、
逆に臨済宗の大きな特色になっています。

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宗教豆知識『仏教』⑥真言宗の教え

【真言宗の教え】

密教を天台の教えのひとつとした最澄と、
密教こそが唯一絶対の教えとした空海とでは、
密教のとらえ方が異なっており、
天台宗の密教を台密、
京都の東寺を中心に展開した真言宗を
東密と呼んで区別しています。

真言宗の教えの大きな特色は、
「この身、このまま、この世において成仏する。成仏している」
すなわち「即身成仏」を説くところにあり、
成仏とは仏(大日如来)と一体になることとされています。

仏教で仏の教えといえば、
普通は釈尊(ブッダ)の教えのことを指しますが、
真言宗においては大日如来になります。

大日如来とは、宇宙の真理を意味する仏、
つまり法身仏であり、すべての仏(如来)や菩薩の本体です。

釈尊は大日如来が現世へ現れた姿であるとされています。

空海は宇宙の実態を観察して、
「体台(本質)」「相大(現象)」「用大(作用)」の
三つの視点から分析し、その体は六大であり、
相は四曼であり、用は三密であると考えました。

六大とは、如来の象徴であり宇宙を構成するところの
地・水・火・空・風・識の六つの要素のことです。

また、現象の世界は四曼
すなわち四種の曼荼羅で表されるものであって、
この理論を図像で描いたものが、金剛界と胎蔵界の曼荼羅です。

そして、宇宙の働きとしての三密とは、
大日如来の身体・言語・心意の三つの働きのことで、
手に印を結び、口に真言を唱え、心に悟りの境地を開くなら、
即身成仏、つまり大日如来と一体となれると説かれています。

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宗教豆知識『仏教』⑤真言宗の歴史

【真言宗の歴史】

密教を正式に日本に定着させたのは空海(弘法大師)です。
空海もまた中国に渡りこれを学んだのですが、
その源をさかのぼればインドにたどり着きます。

インドでの仏教は、定着する過程で
民間信仰であるヒンドゥー教との融合を重ね、
やがて神秘主義的で呪術的な密教が成立します。

特に呪術的な言葉の神秘性を重視したのが真言密教で、
真言(マントラ)とは真実の言葉、
すなわち仏の言葉であり、心の内の秘密の言葉といえます。

真言宗の名もここに由来しています。
やがて7世紀中頃から、大日如来の信仰を中心に
成仏を目的とした真言が説かれるようになり、

それらの教えをヨーガという修行法や
曼荼羅(マンダラ)などと結びつけた、
『大日経』や『金剛頂経』といった経典が著されます。

こうした真言密教は、
善無畏、金剛智、一行、不空らによって中国にもたらされ、
恵果和尚によって空海に伝授されたのです。

空海は日本に帰朝した後、
嵯峨天皇の帰依を受けて高野山に金剛峯寺を建立します。

また京都の東寺を天皇より賜りますが、
後に教王護国寺と改められ、真言密教の拠点となります。

土木、建築、医学、教育、美術、学芸など、
幅広い才能を持った空海は、真言密教の布教に止まらず、
治水事業や学校創設などの社会的活動にも多岐に渡る活躍をし、
835年惜しまれて入定しました。

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宗教豆知識『仏教』④天台宗の教え

【天台宗の教え】

天台大師とも呼ばれる中国の智凱は、
法華教こそが種々の経典のすべての要素を取り入れた
究極的な教え(円教)であることを明らかにしました。

法華経を中心とした天台大師の教えは
法華三大部と呼ばれる『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の
三つの書にまとめられており、
そこでは「教」と「観」の二門が教えの基本となっています。

「教」は、釈尊の教えを五時八教として分類した理論的な門。
「観」は、その教えで明らかにされた真理を悟るための
修行方法という実践的な門になっています。

この天台智凱によって創始された天台宗は
最澄によって日本にもたらされるのですが
既に述べたように中国天台宗を
そのまま日本に持ち帰ったのではなく、
四宗融合という独自の思想が反映されたものになっています。

最澄が目指したのは、
円教・密教・禅・戒という種別にとらわれることなく、
四宗はみな一元のものであるとし、
法華教の精神によってそれら四宗を統一した総合仏教でした。

後にこの天台宗を母体として、
そこから様々な宗派が生まれ出ることになるのも、
こうした天台宗の総合性が背景となっています。

こうした総合的に仏教をとらえる考え方から
天台宗では特定の経典を選択し、
他の経典を捨てることはしません。

どの経典も釈尊の教えであり、
どれもが何らかの真理を説いているとするからです。
法華教を中心にしているのは、
そこに釈尊の教えが要約されているためです。

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