第一石材のお墓について
  • はじめての方へ
  • 第一石材のこだわり
  • お墓が出来るまで
  • よくある質問
墓地・霊園を探す 墓石を素材で選ぶ 墓石をデザインで選ぶ
  • 和型墓石
  • 洋型墓石
  • デザイン墓石
第一石材ブログ
  • 社長ブログ
  • 専務ブログ
  • スタッフブログ

「石材店に行く前に読む本」無料プレゼント中

sekizaitennni.hyoushi-thumb-300x415.jpgのサムネール画像


神戸新聞社運営のサイトで紹介されました

mybestpro_image.gifのサムネール画像 index_header_prologo.gifのサムネール画像

神戸近隣で墓地・霊園をお探しの方へ

第一石材は無料申請代行をはじめ、多くのサービスを実施しております。
まずは一度ご相談ください。

神戸近隣で墓石等をお探しの方へ

墓石はどこで買っても同じというものではありません。それはデザインをはじめ、諸々のサービスも石材会社によってかわってくるものです。当社ではショールームも完備しておりますので、まずは一度ご来館くださいませ。



HOME > 社長ブログ > アーカイブ > 2010年1月アーカイブ

社長ブログ 2010年1月アーカイブ

神戸新聞(2010年1月20日・夕刊)に掲載!

 
img-121093954-0001.jpgのサムネール画像お墓造りのプロフェッショナル「神戸市石材企業協同組合」主催の第29回墓地・墓石相談会の案内記事が、神戸新聞(2010年1月20日・夕刊)の"コミュニケーション・ボックス"にて紹介されました。

下記に掲載内容を取りまとめました。

【墓地・墓石相談会】
[23、24日・神戸市石材企業協同組合]

お墓造りのプロフェッショナル「神戸市石材企業協同組合」主催の第29回「墓地・墓石相談会」が新春早々開催されます。

対象者は、神戸市営墓地・鵯越墓園当選者と、これからお墓の購入を考えている方です。

市営墓地に当選したものの、どこへ依頼すれば良いか、
悩んでいる方も多いとか。

【後悔しないお墓づくり】

同相談会では、期間中の来場者に
『後悔しないお墓づくり』のための豊富な資料をもれなく進呈。

【実物墓石を多数展示】

屋内会場には和型、洋型の数多くの実物墓石が展示され、
じかに見て確かめることができます。

案内は、日本石材産業協会認定の
「お墓ディレクター・1級取得者」が担当し、
墓石への疑問に答えてくれます。

現在、電話による予約を受け付け中。
希望の時間指定ができます。
この機会に経験豊かな同組合に相談してみてはいかが。

なお、相談はすべて無料で、じっくり聞けて、
プライバシー厳守の個別相談会となっております。

■と き:平成22年1月23日(土)・24日(日)の2日間 午前10時〜午後5時
■ところ:神戸市兵庫区永沢町2-1-19
     神戸市石材企業協同組合/墓石ショールーム

■お問い合わせ:神戸市石材企業協同組合
フリーダイヤル 0120・115588 
        受付:午前10時〜午後5時30分(土・日・祝も受付中)

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com 前のコラムへ 次のコラムへ

ねずみ小僧のお墓に合格祈願!

extnews_nezumi0115.jpgのサムネール画像

今年も受験のシーズンがやってきました。
 
さて、大名屋敷・武家屋敷に何度となく入りながら、捕まることなく大金を盗み続けた鼠小僧次郎吉。

その鼠小僧次郎吉の墓なるものがあるとネットに掲載されていました。

内容をご紹介させていただきますと、「ねずみ小僧のお墓」は東京都墨田区の両国にある回向院(えこういん)というお寺の立派な門をくぐり、奥に進むとあるそうです。

そのお墓は、なんと受験生に人気のちょっと変わった合格祈願のスポットになっているとのこと。

1797年に生まれたといわれる天下の大泥棒「鼠小僧」のこのお墓こそ、
受験生の合格祈願の隠れた名所なのであります。

お寺の受付の方いわく、
「どんな試験もするりと抜けるということで合格祈願ですとか、
あとはお金がたまるとか、宝くじに当たるとか言われてるんですよ」とのこと。

なるほど、捕まることなく大金を盗み続けた鼠小僧だけに「するりと抜ける」とは。

ちなみに「鼠小僧の墓石を削って持っているとお守りになる」
というなんとも豪快な言い伝えのため、
墓石の前に立っている石はツルツルになっているとのこと。

お墓の横には「こちらのお前立ちをお削りください」とわざわざ立て札が。
試された人によると、丸い石を削るのはかなり難しく、
粉がパラパラ落ちた程度とのこと。

※写真:「鼠小僧次郎吉の墓」。
    手前の白い石が「お前立ち」。削られてツルツルになっている。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

数珠にはどんな意味があるのか?

数珠とはすなわち念珠であり、数を念ずる、
あるいは数を記する意味を持っています。

仏教を信じる者、あるいは仏の道を信仰するものが
常にこれを持つことにより、煩悩を消滅し、
自らも功徳を積むことにより願いが成就するといわれています。
 
仏前やお墓参りをする時は、多くの場合数珠を手に掛けます。

数珠をかけることによって心が引き締まります。

それでは、数珠には、どういう意味があるのでしょうか。

はるか昔、お釈迦様が御在世の時、
難陀国(なんだこく)の毘琉璃王(びるりおう)が
使をもってお釈迦様に申し上げるよう、
「我が国は、常に戦乱があるために、五穀実らず、
しかも悪病が流行して国を治めることが困難であります。
政治をつかさどりつつ仏の道を修行していきたいと思いますが、
どうしたならばよいでしょうか。」と尋ねたのであります。

するとお釈迦様は、「それは難しいことではない。
無楼子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで数珠をつくり、
それをいつも手からはなさず、隙あるごとに、
心から御仏の御名を称えつつ(「仏法僧」と称えつつ)、
一つずつ、つまぐれば、おのずから心は静まり、
わずらいをのぞき、正しきに向い、
間違いのない政治をすることが出来る。」と仰せになりました。

これを聞かれた王様は、早速無楼子の実を沢山集めさせ、
千の数珠を作られ、親戚や家来どもに持たせ、
王様自身は、いつも手からはなさず、隙さえあればつまぐって、
心よりみほとけの御名を称えられたそうであります。

そして何日かたってから、王様は、お釈迦様をお招きして、
皆とともに法話を聞かれました。

これが数珠の始まりといわれています。

珠の数を百八とせられたのは、
私どもの心が百八にも動きかわり乱れるということからで、
これを俗に「百八の煩悩(ぼんのう)」といっています。

その乱れやすい心が仏の御教によって、
よき心に変わっていく、それを受け取らせようというので、
このように仰せられたようであります。

珠の中をつらぬいている糸は、
丁度仏の心を、私どもの心の中に通しているわけであって、
しかもそれを円く輪にしてあるには、
心が円く、素直になることを意味しているので、
心の平和を表しているのであります。

仏前やお墓にお参りする時は元より、
出来れば、いつも珠数を手にかけて、
自分の心をよきに導きたいものです。

このような意味をもったお数珠でありますから、
お数珠は、大切に取り扱うようにしたいものです。

例えば畳の上にじかに置くとか、人にわたすとき、
ぽいと投げたりするようなことは、避けたいと思います。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

『後悔しないお墓づくり』のための相談会

blog.showroom.jpgのサムネール画像

お墓造りのプロ集団「神戸市石材企業協同組合」主催の第29回墓地・墓石相談会が『後悔しないお墓づくり』をテーマに新春早々、神戸市石材企業協同組合墓ショールームにて開催されます。
 
もちろん、私ども第一石材も神戸市石材企業協同組合加盟業者のひとつなので、相談員として参加させていただきます。

対象者は、神戸市営鵯越墓園当選者の方や、
これからお墓を購入を考えておられる方々です。

■主 催:お墓づくりのプロ集団 「神戸市石材企業協同組合」 第29回墓地・墓石相談会 
■と き:平成22年1月23日(土)・24日(日)の2日間 午前10時〜午後5時
■ところ:神戸市兵庫区永沢町2-1-19
     神戸市石材企業協同組合/墓石ショールーム

市営墓地に当選したものの、いざお墓を建てるとなると、
IMG_0802.JPGのサムネール画像 どこに依頼すればよいのか、悩まれている方も多いとか。

この相談会では、"お墓を購入する時の注意点"、"信頼できる石材店の選方"など、お墓づくりに役立つ情報が得られると共に、期間中のご来場者に、『後悔しないお墓づくり』のための豊富な資料をもれなく進呈いたします。

屋内会場の神戸市石材企業協同組合/墓石ショールームには
伝統的な和型墓石から、オリジナルデザイン墓石に至るまで、
数多くの実物墓石が展示され、じかに見て確かめることができます。

ご案内は、日本石材産業協会認定の
「お墓ディレクター・1級取得者」が担当し、
中国での墓石製作における"ごまかし"の実態や流通システム、
国産の石なら本当に安心なのか、といった疑問にもお答えいたします。

なお、相談会はじっくり聞けて、
プライバシー厳守の個別相談会となっており、
電話による予約も受付中で、希望の時間指定ができます。

一生に一度あるかないかのお墓づくり。
この機会に経験豊かな神戸市石材企業協同組合に
相談されてみてはいかがでしょう。

【お墓のこと、本当に知りたいのはここ!】

1.お墓の費用はいくら位かかるの?
2.中国産の墓石は大丈夫なの?
3.国産の墓石なら本当に安心?
4.お墓なんてどこで買っても同じ?
5.こんな石材店にはご用心?

■お問い合わせ:神戸市石材企業協同組合
フリーダイヤル 0120・115588 
        受付:午前10時〜午後5時30分(土・日・祝も受付中)

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

「家紋について」最終話④墓石を飾る家紋

hndake.JPGのサムネール画像武家の誇りでもあった家紋も、元禄時代中期になると一般庶民の使用が自由になり、形も装飾的な面が強調されるようになりました。

そしてその用途も衣服だけに限らず広範囲に拡大してゆきましたが、その中でも家の印として現在でも根強く受け継がれているものに墓石の家紋があります。

 

「○○家之墓」という墓標は、
墓地へ行くとよく見られるものです。

最近では個人墓などもありますが、
元来お墓は「家」という意識が非常に強いもので、
墓石に家紋を彫り込むことが多いようです。

墓石のどこに彫るかは自由で、
様々なものが見られます。

棹石に彫られているもの、
上台、水鉢、左右の花立などが主な彫刻場所です。

多いものでは、一つのお墓に三か所という例もあります。

また、この習慣はニューデザイン墓石が増えてきている現在でも、
ごく自然に受け継がれています。

水鉢と花立に家紋を彫ることが多い様ですが、
外柵の門柱に彫ることもあります。

※写真は2008年度「墓石大賞」"大賞"受賞作品『半田家墓碑』
http://www.daiichisekizai.com/design/cat_cat152/08/

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ


「えべっさん」とは?

商売繁盛と家内安全を祈願する「十日えびす大祭り」が
昨日1月9日から各地で始まっています。

私も今朝、毎年恒例の「えべっさん」にお参りに行ってきました。
もちろん我が社の地元である、神戸市兵庫区の柳原蛭子(えびす)神社です。

「えべっさん」とは「神様」のことを「神さん」と呼ぶように、
関西人独特の親しみのある表現で、
全国的には「えびす様」または「恵比寿神」と
呼ばれている七福神の一人です。

もともとは持ち物の釣り竿と鯛からも分かるように海の神様ですが、
後に農業や商売の神様としても信仰されるようになりました。

恵比寿神様こと蛭子命(ひるこのみこと)は、
日本の国をつくったとされる、
イザナギの命(みこと)とイザナミの命の息子とされ、
七福神の中では唯一国産の神様とされています。

※コラム:天地のはじめ「神話から見る日本の原点」参照
http://pro.mbp-kobe.com/daiichisekizai/column/4118

しかし「夷」や「戎」とも書かれることから、
異民族の漂流者との説もあります。

恵比寿神様はあの福々しい顔に似合わず苦労人であり、
3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ
「えべっさん」の総本社・西宮神社がある西宮に漂流したとのことです。

またあの福耳にもかかわらず耳が悪いとされています。

また、国家の保護を受けていない格の低い神とされていますが、
そこが逆に判官びいきの関西にうけている理由でもあり、
また、関東ではうけなかった理由かもしれません。

ちなみに関東ではおなじ商売繁盛の祭りとしては酉(とり)の市があり、
これは国家的英雄とされる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭っています。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

「家紋について」③菊の御紋章

菊の御紋章は、皇室の御紋章というだけではなく、
海外へ出るときに何より大切なパスポートの表紙のまん中に
「十六花弁菊紋」が光っています。

この菊紋は日本人としての証拠であり、
日本の国のシンボルなのです。

菊紋は菊の花を優雅にアレンジして図案化したもので、
さわやかな気品があります。

菊は仁徳天皇の時代に中国より伝来し、
宮中で始めは薬用として大切に扱っていたといわれます。

菊紋は後鳥羽上皇以来、
皇室の正式紋として受け継がれてきています。

徳川時代には葵の紋が脚光をあび、
一般の旗本や商家で使用する者が出てきたため、
幕府では葵紋の使用禁止令を出したほどです。

しかし、慶應三年の大政奉還により
将軍職の廃止とともに葵紋は失墜しました。

代わって王政復古により、
菊紋が権威を持つようになりました。

明治政府は明治元年(1868)由緒の有無にかかわらず、
皇族以外に菊花紋の使用を禁止しています。

十六花弁の菊花紋は天皇家のみ、
皇族は十四花弁の裏菊紋を用いるように定められ現在に至っています。

尚、菊花紋は皇室の定紋で、
替え紋として桐紋が使用されています。

政府の褒賞関係にはこの桐紋が使われます。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com


「家紋について」②家紋は我が家のマーク

家紋とは、家の印で名字、
称号の目印として考えられた図柄です。

それらは、花や植物をテーマにしたものが数多くあります。

西洋にも紋章というものがあり、
王侯貴族や名家のシンボルマークとなっていますが、
モチーフはライオンや鷲、盾や矛、刀剣、槍などがほとんどです。

また、西洋の紋章は王侯貴族だけのもので、
一般市民すべてが家紋を持っているのは日本だけです。

家紋に表された図柄は、最も初期には
写実的なものもあったようですが、
それが家紋として発達するにつれて、
整形され対照的で洗練された形へと変化してゆきました。

これは家紋が元々識別を主な目的にしていたため、
あまり複雑なデザインではなく容易に見分けられる、
という条件の上で考えられたからでしょう。

家紋は歴史の中に忘れられた存在ではなく、
現在も脈々と息づいて暮らしの中に生きています。

例えば結婚式や披露宴での女性の留袖、
あるいは七五三のお宮参りでは、
紋付き袴を着た男の子が千歳あめを手に
ポーズををとっている光景を目にすることができます。

また、葬儀の時にも家の紋が入った提灯がかかげられ、
紋付き礼装の人々が焼香をしています。

もちろん、お墓にも和型墓石の場合
ほとんどの墓石に家紋が彫刻されています。

最近では、自分の家の家紋を知らない人もいます。
毎日意識することはありませんが、
自分の家の家紋は知っていた方がいいでしょう。

貸衣装を借りるときにも、
はっきり指定しないと、
適当な紋のものをあてがわれてしまいます。

また、家紋に関心を持つと、
いろいろと面白い歴史的な発見もあります。

家紋は元々「家」と「名字」を象徴したマークで、
男性専用とされていましたが、
江戸時代になると一般大衆にまで広がり、
女性専用の女紋も生まれました。

女紋はその家を代表する定紋にちなんで作られました。

女紋は定紋よりも小形で、格式ばった形より
細線で描いた優美なものが好まれたようです。

また、家格を重んじる家では、
他家に嫁ぐ娘は母方の家紋を染め抜いた
衣類や調度品などの嫁入り道具を、
婚家先に持参する習慣が各地で行われていました。

この紋を結婚後もそのまま使い、
女児が生まれると母方の紋を受け継ぎます。

このように女紋は母系で受け継がれてきました。

この女紋の扱いは地方によって違い、
結婚後は嫁入り先の家紋を用いる所もあります。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

「家紋について」①家紋の歴史

家紋の起源は平安後期の院政時代だと言われています。
当時、公家は自家用車として牛車を使用し、
参内(さんだい)や物見などにはこれに乗って出かけました。

混雑する内裏(だいり)の前庭や都大路で、
自分の車を識別する目印として紋をつけるようになり、
また自分の車の美しさを誇るためでもあったようです。

公家では牛車や輿車(こしぐるま)に、
武家では旗・幕・盾・武器に記して、
家の目印として用いられました。

家紋の普及につれ、衣服にも使われるようになり、
さらに調度品など生活用具や建築物・墓石・仏具にまで
幅広く用いられるようになりました。

武家が家紋を衣服に付けるようになったのは、
鎌倉時代からで、当時はまだ一般化していませんでしたが、
南北朝時代になって直垂(ひたたれ)に付けるようになり、
これが礼服となりました。

徳川時代には紋を入れた裃(かみしも)を
民間でも用いるようになったのです。

太平の続く元禄記になると、
装飾的な面が強調されるようになり、
鹿子に染めた鹿子紋、
金糸を使った縫紋(ぬいもん)なども出てきました。

用途も衣服だけではなく広範囲に拡大して、
様々なものに使われるようになりました。

例えば、商家の暖簾(のれん)、朱塗りのお椀、
祝い膳、袱紗(ふくさ)、風呂敷、鏡、法被(はっぴ)、
袋物、文庫、酒盃、提灯、線香立て、
墓石、御神輿、幔幕(まんまく)、などで、
明治時代を経て現代に受け継がれています。

家紋は、家督と同様に男子嫡子が継承するのが普通ですが、
次男以下の者が分家をするときに、
本家の家紋を少しアレンジして使ったため、
家紋は分家のたびに増えていきました。

現在そのバリエーションを加えると
五千種を超えると言われています。

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

宗教豆知識⑲最終話『カトリックとプロテスタント』

【旧教と新教】

■カトリック(旧教)

"カトリック"とはギリシャ語で「普遍」を意味します。
キリストは弟子の中から十二使徒を指名し、
その中でペテロを頭としました。

キリストの死後、ペテロはローマに赴き教会をつくりましたが、
このローマ教会の司祭であったペテロの後継者が、
現在のヴァチカン教皇とされ、
全カトリック教会の最高権威者となっています。

日本での教会数は現在2000を超え、
上智大学をはじめとする12の大学、
30の短大、116の高校、91の中学校の経営が行われています。

■プロテスタント(新教)

宗教改革が起こった16世紀に、
カトリックに抗議して分離したキリスト教のことで、
"プロテスタント"には「抗議する者」という意味があります。

ただし、プロテスタントという教派があるのではなく、
ルーテル派教会、バブテスト教会、メソジスト教会など、
カトリックから分離した各派を総称してそう呼んでいます。

日本では現在5500を超える教会・伝道所が存在し、
学校では立教大学をはじめとする10校が数えられます。

一般に最も知られている行事といえば、
イエス・キリストの誕生日を祝う
クリスマスが挙げられます。

また、エイプリルフール(万愚節)や
ハロウィン(万聖節)なども、
多くの人によく知られていますが、
これら欧米から伝えられた行事は、
本来の意味から理解されているのではなく、
商業的な理由によって浸透しているようです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

宗教豆知識⑱『キリスト教の教えと歴史』

【教えと歴史】

キリスト教は、現在のイスラエルに
西暦紀元前後に生まれたイエス・キリストを神の子としています。

父なる唯一の神、神の子、聖霊は三位一体とされ、
その教えの根本は、イエス・キリストによる人間の罪の償いと、
これに基づく救済(愛)が説かれています。

聖典として、旧約聖書と新約聖書がありますが、
モーゼ五書(創世記、出エジプト記など)を代表とする旧約聖書は、
イスラエルの民を媒介として神が救済を約束したという
ユダヤ教の経典であり、新約聖書はキリスト教特有のもので、
神がキリストを通して救済を約束したとするものです。

ただし、旧約聖書もキリストを準備する書として、
後のキリスト教会によって経典に加えられました。

キリストの教えは弟子たちによって広まり、
3世紀初めにはローマ皇帝によって公認され、
やがて国教として定められます。

その後、ローマ帝国の東西分裂に伴い、
東方正教会とカトリック教会に分かれ、
ゲルマン民族と提携した
カトリック(西方)教会が発展してゆきます。

しかしそのカトリック教会も、
聖地エルサレム奪回を目的とした
11〜13世紀にかけての十字軍の遠征に失敗し、
司祭の堕落や教会の退廃などから、
権威は次第に失墜してゆくこととなり、
16世紀にはドイツのルターや
スイスのカルヴァンらによる宗教改革の波にさらされます。

こうして、教会の権威を尊重するカトリック(旧教)に対し、
聖書を中心とした個人の信仰を強調する
プロテスタント(新教)が台頭し、
西方教会は今日に至るまで、
この二分された状態で歩むことになります。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

神社の宗教『神道の内容』宗教豆知識⑰

【神道の内容】

「神道とは何か」という問いには、
専門家でもなかなか明確に答えることができないようです。

このことは、特定の教祖や経典を持たない、
自然に出来上がった民族宗教の特徴ともいえるでしょう。

それゆえに、歴史の中で仏教と融合することもできたのであり、
現在でも仏壇と神棚が同じ屋根の下に設けられるなど、
他宗教と並存することもできるのです。

初詣をはじめ、神前結婚式、初宮参り、
七五三、成人式、安産祈願、合格祈願など、
神社に出掛けて祈願する行事は日本文化の中に定着しており、
意識するしないにかかわらず、
わたしたちは日常生活の中で神道に接しています。

こうしたことから、神道は意識的な宗教行為としてよりも、
長い伝統の中で習慣化された
儀礼行為としての要素が強いともいえるでしょう。

ただし、神道が「祭り」という行為を中心にしてきた
信仰であることを忘れることはできません。

「祭り」とは本来、神々を祀(祭)るという宗教的な行為であり、
畏敬と感謝の心で神々に祈り願うということです。

底流で素朴な自然崇拝と結びついたその心は、
儀礼や行事を通して、今も生きているのです。

【神道の影響】

神道とは、一般に神社を中心とする神社神道のことを言いますが、
こうした神社神道の他に教派神道を挙げることもできます。

これは、明治以降に政府によって認められた神道系の教団のことで、
黒住教、天理教、金光教など13の教派がこれにあたることから、
神道十三派とも呼ばれていました。

クリスマス、お寺の除夜の鐘を聞く大晦日、
元旦の神社への初詣といったように、
今日の日本の行事には、様々な宗教が
肩を並べているようにも見受けられます。

しかしながら、一般的な儀礼や行事の多くは、
神社で行われています。

わたしたちの風習に最も影響を与えているのは、
神道だと言えるでしょう。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

神社の宗教『神道の歴史』宗教豆知識⑯

【神道の歴史】

神道は自然発生的に生まれてきた宗教であり、
豊かな自然に対する独特の感受性を基に、
日本という風土の中で生まれ育った民俗宗教です。

仏教やキリスト教などと違い、
いつ、誰が開いたというものではなく、
特定の教祖や経典を持ってはいません。

したがって、神道の起源は明らかではありませんが、
『古事記』や『日本書紀』などにおける古典神話に、
その原始的な形態がうかがわれます。

「八百万の神」といわれるように、神道は多神教です。
天照大神(あまてらすおおみかみ)
や大国主神(おおくにぬしのみこと)など、

名前を持った神々が神話に登場していますが、
中でも日の神である天照大神が中心的な神格を持っています。

天照大神は皇室の御先祖であるとされ、
後に伊勢神宮に祀られますが、
中世以降に伊勢信仰は全国各地に広められることとなります。

一方では、山の神や海の神などといった
自然を司る名前を持たない神々が、
民間信仰によって敬われてきました。

神々の中でも、地域社会の中で
庶民にとって関係が深くなっていったのは、
各地域の守り神、いわゆる氏神や産土神です。

そういった氏神や産土神をまつる祭祀に基づき、
大陸文化の影響もあって、やがて全国各地に神社が建てられます。

また、仏教が伝来されることによって、
社殿や神像が造られてゆくのですが、
次第に神道と仏教は融合してゆくことになります。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

宗教豆知識『仏教』⑮日蓮宗の教え

【日蓮宗の教え】

法華経では、この世に現れた釈尊は仮の姿であり、
真実の姿は大昔から成仏している不滅の仏である(久遠実成)とされ、
仏に寄せて人間の生命の不滅が説かれています。

日蓮宗はこの法華経(妙法蓮華経の略)をよりどころとしており、
法華宗とも称されていたのはそのためです。

法華経は、既に最澄によって伝えられていましたが、
密教や禅をも取り入れた総合仏教としての天台宗が、
深遠な哲理を追求する学問仏教に偏る傾向があるのに対し、
日蓮宗は、「南無妙法蓮華経」という題目を唱え、
それを受持すれば功徳があるという教えです。

日蓮は「教」「機」「時」「国」「序」という5つの面から、
法華経こそが我々を救うことを示し、8万4千といわれる経典の中で、
これこそ末法の世の人々を救済する予言書であるとしました。

また、本門と呼ばれる法華経の後半を、
「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」
という三大秘宝として説き、
題目を唱える重要性を打ち出しています。

日蓮によれば、名は体を表すというように、
妙法蓮華経という題目には法華経の奥深い教えが集約されており、
逆に言えばその題目を解釈して6万9364字の法華経があるわけです。

題目は法華経を内包しているのであって、この題目を唱えれば、
わたしたちと仏とは心が交流するのであり(感応道交)、
この身が、そのまま仏になる、そう日蓮聖人は説いているのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

宗教豆知識『仏教』⑭日蓮宗の歴史

【日蓮宗の歴史】

16歳で出家した日蓮は、
多くの典籍と高僧を求めて
19歳の時に比叡山に上がります。

当時の天台宗では密教が盛んであり、
まだ法然による浄土宗が影響を色濃くさせる中、
日蓮は10年以上にわたる研鑽を積み、
法華経こそが経典の中の経典であるとの確信を得て、
比叡山を下ります。

日蓮はやがて、鎌倉の松葉谷に草庵を結び、
法華経の行者としての自覚を高めます。

当時の鎌倉は災害が頻発するなど騒然としており、
そうした惨状を前にした日蓮は、
日本のあるべき姿を提言した『立正安国論』を著しました。

そこでは浄土宗が厳しく批判されていたため、
浄土宗の僧侶や信徒に草庵を襲われ(松葉谷の法難)、
伊豆に流されます(伊豆流罪)。

三年を経て赦免された後も、
帰省した際に襲われ(小松原の法難)、
蒙古襲来の時にも領内鎮圧のため、
不穏分子としてあやうく斬首されかけ(龍口の法難)、
さらに再び僻地にながされます(佐渡流罪)。

こうした様々な困難に遭遇しながらも、
日蓮はますます法華経をよりどころとして布教に努め、
流罪が赦された後は身延山に身を寄せます。

やがて老境に入ると体調を崩し、
湯治のために温泉に向かう途中、
61年の波乱に富んだ生涯を閉じます。

日蓮聖人が病の床で本弟子として指定したのが、
日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持で、
彼らは六老僧と呼ばれています。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

宗教豆知識『仏教』⑬浄土真宗の教え

【浄土真宗の教え】

初期の仏教は、成仏するために様々な修行が求められていました。

様々な戒律を守り、経典を研鑽するという修行は、
日常生活を送るものにとっては難しく、
釈尊の場合は一生涯の修行で仏になることができましたが、
我々のような普通の人間が容易になし得ることではありません。

やがて、庶民の間に仏教が浸透するにつれて、
実践行を通して自力で仏になることへの反省が芽生え、
自分の成し得ることをした上で、
その後は仏の加護と救済にゆだねれば良いのではないか、
という他力思想が生まれてきます。

この他力思想のひとつの現れが、
法然の打ち出した念仏の教えです。

それは、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えて
阿弥陀仏の他力にすがるというものでした。

しかしこの浄土宗とて、念仏を唱えるという
自力の行は認めていたのです。

これに対して、念仏を唱えること
それ自体が既に阿弥陀仏の他力によるのだという、
「絶対他力」の教えを説いたのが親鸞です。

法然の念仏では、わたしたちが阿弥陀仏の
救済を願うことが求められていましたが、
親鸞によれば、念仏は自分の意志によるものというより、
自然に口からほとばしるものであり、成仏を願っているのは
むしろ阿弥陀如来だとされています(絶対他力の本願)。

自力を捨て、こうした本願を信じ、
いかなる者も見捨てずに救済する阿弥陀仏の慈悲を前にして、
思わず口について出る報恩感謝のしるし、
それが親鸞聖人の説く念仏なのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

神戸の墓地・墓石のことなら第一石材へ
http://www.daiichisekizai.com

« 2009年12月 | メインページ | アーカイブ | 2010年2月 »

このページのトップへ