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社長ブログ 豆知識の最近のブログ記事

宗教豆知識『仏教』⑩浄土宗の歴史

【浄土宗の歴史】

浄土宗を開いた法然の存在意義は確かに大きなものですが、
そこに至るまでは他宗派にも増して、様々な僧が関わっています。

まず、インドの経典を中国語に訳す上で功績のあった鳩摩羅什、
同じ頃に無量寿経や観無量寿経などを通じて浄土教の基礎を築いた曇鸞、
これに続いて浄土信仰を深めた道綽、
そして、その弟子で浄土教を大成させた善導らがいました。

これらの高僧がいなければ、今日の日本に
浄土教(阿弥陀仏の浄土の教え)は伝わらなかったでしょう。

浄土教は、聖徳太子や聖武天皇、あるいは最澄らによって、
古くから日本にもたらされてはいました。

また10世紀に活躍した空也や源信により、
浄土の教えは注目を浴びもしました。

しかしながら、それらは貴族趣味的なものに止まり、
庶民の苦しみを救うものとなるためには、
法然の出現を待たなくてはなりませんでした。

法然は13歳にして比叡山延暦寺に入り、天台宗の教えを受けます。

やがて源信の『往生要集』や善導の『感無量寿経疏』を読み、
誰もが容易に救われると説く念仏の教えの正しさを確信し、
さらに善導大師の夢告もあり、
山を下りて念仏の教えを広めることになります。

その後、既成仏教より弾圧を受けるなどもしましたが、
浄土宗は急速な広まりをみせ、
法然は『一枚起請文』を最後の教えとして、80歳で入寂しました。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑨曹洞宗の教え

【曹洞宗の教え】

臨済宗と同じ禅宗であり、座り方は同じであっても、
臨済宗と曹洞宗では座禅の心構えが少し違います。

臨済宗の禅は、全身全霊で公案と自分とが一体となるように
努力することが求められますが(公案工夫)、
曹洞宗では「只管打座」、
すなわちただひたすら座禅することのみが修行であり、
焼香・礼拝・読経などは必要とされていません。

このように座禅のみの座禅が只管打禅ですが、
種々の思慮を絶って昼も夜もただひたすら座ることで、
心身の統一、安定、調和が図れるとし、
こうした身心脱落によってかえって宇宙の姿、
すなわち「即心是仏」が得られるとしています。

煩悩に汚れていない心、その心はすべての存在であり、
すべての存在はその心であり、自己と宇宙とが一体となった状態、
それが即心是仏なのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑧曹洞宗の歴史

【曹洞宗の歴史】

広義の禅宗とは、座禅を行うことによって
仏の悟りの境地を実現しようとする教派のことです。

臨済宗と曹洞宗がその代表ですが、
正確に言えば「禅宗」という宗派が存在する訳ではありません。

6世紀前半に達磨が中国に伝え、
中国および日本の禅宗の始祖となりました。

栄西に師事した道元は臨済宗の禅宗を学びましたが、
23才の時に入宋して如浄禅師に会い、
印可を得て帰国した後、
興聖寺や永平寺などをはじめとする
禅の道場としての寺院を建立しました。

また、仏法における座禅の位置付けを説き明かした
『正法眼蔵』などの膨大な著作をまとめるなど、布教伝道に務めたのです。

道元亡き後の曹洞宗は一時混乱の様相を呈しますが、
瑩山がその収拾にあたり、曹洞宗の教えの
さらなる大成と幅広い布教に務めました。

そのため、道元を高祖、瑩山を太祖と呼び、
合わせて両祖大師と呼んでいます。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑦臨済宗

【臨済宗の歴史】

広義の禅宗とは、座禅を行うことによって
仏の悟りの境地を実現しようとする教派のことです。

臨済宗と曹洞宗がその代表ですが、
正確に言えば「禅宗」という宗派が存在する訳ではありません。

6世紀前半に達磨が中国に伝え、
中国および日本の禅宗の始祖となりました。

日本に禅宗が伝来したのは鎌倉時代のことです。
天台宗を学んでいた栄西は、
宋に渡った際に禅と出会い、
日本に帰朝後、九州に報恩寺や聖福寺を開きました。

現在では14の本山を持ち、臨済宗14派と呼ばれますが、
これらは法系の上では一筋に帰するものであり、
対立的な意味はありません。

【臨済宗の教え】

臨済宗では、寺院建立の際の様々な縁に応じて、
釈尊をはじめ、阿弥陀如来、薬師如来、観世音菩薩などが
本尊としてまつられていますが、
座禅を行うことが仏の悟りに通じるという考え方から、
本尊は一定していません。

仏心を持って宗とし、無門をもって法門としているため、
本尊にも経典にも制約がないということが、
逆に臨済宗の大きな特色になっています。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑥真言宗の教え

【真言宗の教え】

密教を天台の教えのひとつとした最澄と、
密教こそが唯一絶対の教えとした空海とでは、
密教のとらえ方が異なっており、
天台宗の密教を台密、
京都の東寺を中心に展開した真言宗を
東密と呼んで区別しています。

真言宗の教えの大きな特色は、
「この身、このまま、この世において成仏する。成仏している」
すなわち「即身成仏」を説くところにあり、
成仏とは仏(大日如来)と一体になることとされています。

仏教で仏の教えといえば、
普通は釈尊(ブッダ)の教えのことを指しますが、
真言宗においては大日如来になります。

大日如来とは、宇宙の真理を意味する仏、
つまり法身仏であり、すべての仏(如来)や菩薩の本体です。

釈尊は大日如来が現世へ現れた姿であるとされています。

空海は宇宙の実態を観察して、
「体台(本質)」「相大(現象)」「用大(作用)」の
三つの視点から分析し、その体は六大であり、
相は四曼であり、用は三密であると考えました。

六大とは、如来の象徴であり宇宙を構成するところの
地・水・火・空・風・識の六つの要素のことです。

また、現象の世界は四曼
すなわち四種の曼荼羅で表されるものであって、
この理論を図像で描いたものが、金剛界と胎蔵界の曼荼羅です。

そして、宇宙の働きとしての三密とは、
大日如来の身体・言語・心意の三つの働きのことで、
手に印を結び、口に真言を唱え、心に悟りの境地を開くなら、
即身成仏、つまり大日如来と一体となれると説かれています。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』⑤真言宗の歴史

【真言宗の歴史】

密教を正式に日本に定着させたのは空海(弘法大師)です。
空海もまた中国に渡りこれを学んだのですが、
その源をさかのぼればインドにたどり着きます。

インドでの仏教は、定着する過程で
民間信仰であるヒンドゥー教との融合を重ね、
やがて神秘主義的で呪術的な密教が成立します。

特に呪術的な言葉の神秘性を重視したのが真言密教で、
真言(マントラ)とは真実の言葉、
すなわち仏の言葉であり、心の内の秘密の言葉といえます。

真言宗の名もここに由来しています。
やがて7世紀中頃から、大日如来の信仰を中心に
成仏を目的とした真言が説かれるようになり、

それらの教えをヨーガという修行法や
曼荼羅(マンダラ)などと結びつけた、
『大日経』や『金剛頂経』といった経典が著されます。

こうした真言密教は、
善無畏、金剛智、一行、不空らによって中国にもたらされ、
恵果和尚によって空海に伝授されたのです。

空海は日本に帰朝した後、
嵯峨天皇の帰依を受けて高野山に金剛峯寺を建立します。

また京都の東寺を天皇より賜りますが、
後に教王護国寺と改められ、真言密教の拠点となります。

土木、建築、医学、教育、美術、学芸など、
幅広い才能を持った空海は、真言密教の布教に止まらず、
治水事業や学校創設などの社会的活動にも多岐に渡る活躍をし、
835年惜しまれて入定しました。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』④天台宗の教え

【天台宗の教え】

天台大師とも呼ばれる中国の智凱は、
法華教こそが種々の経典のすべての要素を取り入れた
究極的な教え(円教)であることを明らかにしました。

法華経を中心とした天台大師の教えは
法華三大部と呼ばれる『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の
三つの書にまとめられており、
そこでは「教」と「観」の二門が教えの基本となっています。

「教」は、釈尊の教えを五時八教として分類した理論的な門。
「観」は、その教えで明らかにされた真理を悟るための
修行方法という実践的な門になっています。

この天台智凱によって創始された天台宗は
最澄によって日本にもたらされるのですが
既に述べたように中国天台宗を
そのまま日本に持ち帰ったのではなく、
四宗融合という独自の思想が反映されたものになっています。

最澄が目指したのは、
円教・密教・禅・戒という種別にとらわれることなく、
四宗はみな一元のものであるとし、
法華教の精神によってそれら四宗を統一した総合仏教でした。

後にこの天台宗を母体として、
そこから様々な宗派が生まれ出ることになるのも、
こうした天台宗の総合性が背景となっています。

こうした総合的に仏教をとらえる考え方から
天台宗では特定の経典を選択し、
他の経典を捨てることはしません。

どの経典も釈尊の教えであり、
どれもが何らかの真理を説いているとするからです。
法華教を中心にしているのは、
そこに釈尊の教えが要約されているためです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』③天台宗の歴史

【天台宗の歴史】

インド仏教は2〜3世紀に中国に伝わり、
独自の展開を見せてゆきます。

中国の風土に合った仏教を模索していた
智凱という傑出した僧は、
世俗を嫌って天台山に入り、悟りを開きました。

天台宗の名はこの天台山に由来しています。
日本においては平安初期、最澄(伝教大師)が
中国で学んで日本に持ち帰り、比叡山で広めました。

この有徳の僧、最澄に感銘を抱いたのが桓武天皇です。
最澄は天台宗の法門を学ぶため、
天皇に遣唐使としての派遣を願い出ます。

最澄が目指していたものは高遠な総合仏教であったことから、
法華円教(天台宗)、真言密教、達磨禅法、大乗菩薩戒とが、
唐で合わせて学ぶ対象とされ、
これが四宗融合として日本天台宗の特色となります。

最澄は帰国して後、開宗の許しは受けたものの、
最大の理解者であった桓武天皇の崩御や、
交流のあった空海との絶縁などの中、巡礼の旅に出ます。

そして、完全に独立した一宗としての
勅許を求めながら、822年に入寂したのです。

臨済宗の栄西、浄土宗の法然、
浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮といった、
後に各宗派を開くことになる傑出した高僧らも、
若き日には天台宗を学びました。

天台宗は後に円仁や円珍らによって発展するのみならず、
日本の仏教の発展に大きく寄与することになったのです。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』②日本の仏教

大乗仏教が日本に伝えられたのは、
インド・ネパールから中国・朝鮮を経由してですが、
日本への最初の仏教伝来の記録は『日本書紀』にあり、
522年、百済(現在の朝鮮)の聖明王から
欽明天皇に仏像と経倫が贈られたことに始まるとされています。

ただし、後世に残されたこうした記録以前に、
仏教が伝えられていたことも充分に考えられます。

その当時の仏教は、国を鎮め、
国を護るために祈願するものとして、
朝廷から手厚い保護を受けて隆盛をみました。

平安時代になると密教が入ってくるに至り、
日本古来の山岳信仰と結び付いたりもしました。

最澄(伝教大師)が比叡山に天台宗を開き、
空海(弘法大師)は高野山に真言宗を興しましたが、
これらは当時の人々が仏教を学ぶ場ともなり、
後に浄土宗を開く法然も比叡山で天台宗を学ぶなど、
やがて時を経るにつれ、この天台宗から
様々な宗派が生まれることとなります。

鎌倉時代は日本仏教史上でも花開く時期となり、
先に挙げた法然のほか、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮、
禅宗である臨済宗と曹洞宗をそれぞれ広めた栄西と道元らの
優れた仏教者たちが登場しました。

特に禅宗は武士階級の支持を集めたことから、
単に宗教的側面に止まらず、文化的にも大いに栄えました。

鎌倉時代において、仏教はようやく一般民衆に浸透していったのです。

以後、時代の移り変わりと共に様々な変遷を経ながら、
日常の習慣や風俗と結びつき、日本の仏教は今日に至っています。

霊園ガイド(六月書房発行)より

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宗教豆知識『仏教』①仏教の起源

【仏教の起源】

仏教とは、「人間が仏になる」というブッダの教えのことです。
ブッダとは「真実を悟った者」という意味で、
幼名はゴータマ・シッダールタと言います。

ゴータマ・シッダールタは、紀元前5世紀頃(諸説あり)に、
シャカ族の王子として現在のネパール南部に生まれました。

日本では「釈迦」という呼び名が一般的になっていますが、
それは出身部族のシャカ族の聖者という意味で、
釈尊(釈迦牟尼)とも呼ばれています。

釈尊は19歳で結婚し、子供ももうけましたが、
生まれてすぐに母を亡くすなどし、人生に思い悩むことも多く、
29歳で出家して修行者となりました。

35歳の時に(諸説あり)ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想に入り、
悟りを開いてブッダとなりました。

以後、遍歴行脚を重ねながら教えを説き、80歳で入滅しました。

釈尊が入滅してから、100年経過すると、
教団は保守派(上座部)と改革派(大衆部)に分裂してしまいました。

改革派が大乗仏教と呼ばれるのに対して、
保守派は小乗仏教と呼ばれることもありますが、
その呼び名は相手をさげすんだ大乗側からのものであり、
今日では上座仏教と呼ぶのが一般的になっているようです。

上座仏教は出家信者を中心としたもので、
戒律を重んじ、もっぱら修行と禁欲によって
自己の悟りを追求する立場をとるもので、
現在のスリランカ・ミャンマー・タイなど、
主に南方に伝わったことから南伝仏教とも言います。

一方の在家信者を中心とした大乗仏教は、
空の立場から縁起を説き、
大衆の救いを第一と考える菩薩の思想を強調するもので、
現在のモンゴル・中国・朝鮮半島・日本などに伝わったことから
北伝仏教とも呼ばれています。 

霊園ガイド(六月書房発行)より

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