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平成21年9月13日
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社長ブログ 豆知識の最近のブログ記事

お墓と銀シャリ

11.jpg六世紀に日本へ仏教が伝わると、お寺に「塔」という、新しいおシャカ様のお墓が建てられました。

お墓を意味する「塔」は古代インド語・サンスクリット語の「ストゥーパ」から来たものです。

 

中国では「卒塔婆(そとうば)」「卒都婆」などの字があてられ、
略して「塔婆」「塔」ともいいます。

ただ、塔婆供養に使用する今現在の板塔婆ではありません。

今から約2400年ほど前におシャカ様は亡くなられました。

当時インドでは仏教だけではなく、
他の宗教でもお墓のことをストゥーパと呼んでいました。

しかし、仏教を信じる人々にとってストゥーパは、
おシャカ様のご遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)を納めたお墓であり、
供養と礼拝をする大切な場所だったのです。

日本へ仏教が伝わった頃のお寺の
三重塔や五重塔には必ず仏舎利が納められました。

鑑真和上は奈良の唐招提寺に、
弘法大師・空海は京都の東寺に、
中国から仏舎利を持ち帰って納めました。

しかし、本物の「仏舎利」はたいへん貴重なうえ限りがあり、
誰でもが簡単に手に入れることなどできません。

そこで、「法舎利(ほうしゃり)」といって、
仏舎利と同じ価値とされる「写経」を、
仏舎利の代わりにストゥーパに納めて供養をしてきました。

今でもその習慣が残っていて、
お墓に写経をおさめたりします。

中国や日本に伝えられた仏舎利は、
大きさも色も米粒に似ていたので、
お米を大切にする農業国日本では、
早くから、籾(もみ)を仏舎利の代用としました。

有名なのは、昭和28年(1953)に
奈良の室生寺弥勒堂の修理が行われた際に、
堂内の須弥壇の下や天井裏から発見された
全部で3万7387基もの「籾塔(もみとう)」です。

高さ6〜9㎝ほどの小さな木製の
宝篋印塔(ほうきょういんとう)の形をした籾塔の中に、
籾一粒(まれに二粒)がお経(宝篋印陀羅尼)を刷った紙に
包んで納められていました。

今でも、ご飯のことを「シャリ」とか「銀シャリ」といいますが、
もとは仏舎利からでた言葉です。

それほど日本人になじみがあったのです。

※写真は「籾塔」の工芸品です。
※小畠宏允著・石文化研究所発行
 日本人とお墓シリーズ「石塔ってな〜に」より引用

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戒名と修行

///////前のコラムからの続きです///////

戒名は法名(浄土真宗)、法号(日蓮宗)ともいわれ、
宗派によって呼び方が異なります。

戒名の"戒"とは、戒律のことを表し、
仏教の中で悟りを得るための修行としての実践徳目
「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の1つである
「持戒(じかい)」のことで、戒律を守り反省することです。

では具体的に戒律を守るとは、
どういうことかといいますと、一般の男女の場合、

1. 殺生をしないこと
2. 他人のものを盗まないこと
3. 自分の妻または、夫以外の者と淫らな行為をしてはならない
4. ウソをついてはいけない
5. 酒を飲んではならない

という五戒があります。
これが修行が高まるにつれて、
十戒になり二百五十戒になり五百戒となっていきます。

こういう厳しい修行ののちに成道して
授けられる名を戒名といいます。

これが本来の戒名ですが、しだいに変わってきて、
その人の信仰の深さ、菩提寺への尽力の度合、
社会への貢献度などによって授けられるようになってきます。

したがって戒名は修行を積んで
生前に授けられるのが本来の姿ですが、
現在では一般的に死後に授かるようになっています。

つまり、死ぬことで煩悩が絶たれ、
たくさんの戒律を受けて成就したと見なされるからでしょう。

※五来 重著・株式会社 石文社発行
「わかりやすいお墓と仏事」より引用

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極楽浄土の彼岸に渡るための修行

///////前のコラムからの続きです///////

お彼岸とは「到被岸(とうひがん)」の略したもので、
文字通り彼岸へ到達するという意味です。

彼岸とは悟りの世界を意味し、
迷いや苦悩に満ちた
こちら側の岸(此の岸)に対して、
あちら側の岸(彼の岸)、
つまり極楽浄土のことを指しているのです。

これを、古代インドのサンスクリット語では
「パーラミータ」といい、漢字では「波羅密多」と書き、
仏教では修行を意味します。

では、どうしたら極楽浄土の岸へ渡れるのでしょうか?

仏教には「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の教えという、
菩薩が修行をする六つの大切な実践徳目があります。

1.布施(ふせ) 財物・おしえ・安心など、他人に施しをすること
2.持戒(じかい) 戒律を守り反省すること
3.忍辱(にんにく) 不平不満を言わず、苦難を耐え忍ぶこと
4.精進(しょうじん) 仏道を実践し、精進努力をすること
5.禅定(ぜんじょう) 精神を統一し、心を安定させること
6.智慧(ちえ) 真実を見きわめる知恵を働かせること

この中で最も重要なのが「智慧」です。
お経の中でも出てくる「般若(はんにゃ)」とは、
この「智慧」のことなのです。

こうした徳目は本来ならば、
毎日心がけるべきなのでしょうが、
日頃は忙しさにかまけて
なかなか実行できないというのが実状です。

そこで、せめて春と秋の
年に2回くらいは実践しようというのが、
お彼岸法要の意味です。

お彼岸にはご先祖様のお墓にお参りし、
日々の感謝の気持ちを伝えると共に、
「六波羅蜜」の教えを実行したいものです。

/////////////////つづく///////////////////

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「お彼岸」とその意味?

今日から春のお彼岸の「入り」です。

春のお彼岸は「春分の日」を中心に
前後3日間を加えたもので、
「入り」「中日」「明け」の三つに分かれます。

「中日」には太陽が真東からでて真西に沈みます。

そのことから、この日に夕陽を拝むということは、
西方にある極楽浄土に向かって
拝むことになると言われており、
「中日」に夕陽を拝むと
特に功徳があると考えられているのです。

「彼岸」とは、"彼方(かなた)にある岸"
のことで、すなわち向こう岸です。

大きな海や川をはさんだその反対の
こちら側を「此岸(しがん)」といいます。

仏教では、2つの岸を、「悟り」と「迷い」の世界、
あるいは「極楽浄土」と「娑婆(しゃば)」に例えます。

わたしたちには、「あの世」と「この世」
という表現の方がよく分かります。

彼岸とは「到被岸(とうひがん)」の略したもので、
文字通り彼岸へ到達するという意味です。

彼岸とは悟りの世界を意味し、
迷いや苦悩に満ちた
こちら側の岸(此の岸)に対して、
あちら側の岸(彼の岸)、
つまり極楽浄土のことを指しているのです。

これを、古代インドのサンスクリット語では
「パーラミータ」といい、漢字では「波羅密多」と書き、
仏教では修行を意味します。

では、どうしたら極楽浄土の岸へ渡れるのでしょうか?

/////////////////つづく///////////////////

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お彼岸とそのルーツ?

日本のほとんどの家では、故人の冥福を祈り、
ご先祖様に感謝の報告をするために、
お彼岸には「お墓参り」をする習慣があります。

「春分の日」と「秋分の日」を中心に、
前後3日間を加えた計一週間がお彼岸で、
仏教行事としては「彼岸会(ひがんえ)」ともいわれます。

「お彼岸」のルーツは平安時代にまでさかのぼります。

聖徳太子建立の大阪・四天王寺では、
お彼岸の中日に、真西に夕日が西門の石の鳥居の中に沈みます。

この鳥居が「極楽の東門」で、ここに入る夕日を拝み、
阿弥陀様の西方浄土へ極楽往生を願うという信仰が生まれ、
お彼岸は、「亡き人を弔い、極楽浄土を願う日」として、
様々な階層にまで広まりました。

四天王寺付近には今もその名残として
「夕陽丘(ゆうひがおか)」という地名が残っています。

「彼岸」とは、"彼方(かなた)にある岸"
のことで、すなわち向こう岸です。

大きな海や川をはさんだその反対の
こちら側を「此岸(しがん)」といいます。

仏教では、二つの岸を、「悟り」と「迷い」の世界、
あるいは「極楽浄土」と「娑婆(しゃば)」に例えます。

わたしたちには、「あの世」と「この世」
という表現の方がよく分かります。

しかし、大乗仏教では、苦しみや迷いの世界の此岸から、
迷いのない悟りの彼岸へ到達することを
「到被岸(とうひがん)」といって、修行を意味します。

これを、古代インドのサンスクリット語では
「パーラミータ」といい、漢字では「波羅密多」と書きます。

よく知られているお経、『般若心経』は
「摩訶般若波羅密多心経」の略です。

古代日本に中国から伝わった暦は
月の動きを基に作られた太陰暦でしたが、
農業国の日本では、太陽の動きで太陰暦を修正し、
一年の各月を正節と中気に分けた、
やはり中国の「二十四節気」がとても重宝でした。

冬至・夏至・春分・秋分・立春・立夏・
立秋・立冬・大寒などが二十四節気ですが、
この中に「彼岸」は含まれていません。

彼岸は「雑節」といい、二十四節気を補うために、
日本でもうけられた暦日の一つで、
土用・節分・お盆・節句・七夕なども雑節です。

よく「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、
春分・秋分の日はちょうど季節の変わり目にあたり、
農業では欠かせない大切な目安となる日です。

そんな大切な時だからこそ日本人は、
昔からご先祖様や、亡き人のお墓参りをしてきたのです。

自然や季節感を忘れがちな現代の人たちにとって、
「お彼岸」は、太陽(お天道さま)や
ご先祖様を思い起こすのに良い機会かもしれません。

家族そろってお墓参りをしながら、
自然の恵みとご先祖様のおかげで
今現在の自分と家族があることを、
心から感謝する日が、日本のお彼岸ではないでしょうか。

※小畠宏允著・石文化研究所発行
 日本人とお墓シリーズ「お彼岸ってな〜に」参照

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数珠にはどんな意味があるのか?

数珠とはすなわち念珠であり、数を念ずる、
あるいは数を記する意味を持っています。

仏教を信じる者、あるいは仏の道を信仰するものが
常にこれを持つことにより、煩悩を消滅し、
自らも功徳を積むことにより願いが成就するといわれています。
 
仏前やお墓参りをする時は、多くの場合数珠を手に掛けます。

数珠をかけることによって心が引き締まります。

それでは、数珠には、どういう意味があるのでしょうか。

はるか昔、お釈迦様が御在世の時、
難陀国(なんだこく)の毘琉璃王(びるりおう)が
使をもってお釈迦様に申し上げるよう、
「我が国は、常に戦乱があるために、五穀実らず、
しかも悪病が流行して国を治めることが困難であります。
政治をつかさどりつつ仏の道を修行していきたいと思いますが、
どうしたならばよいでしょうか。」と尋ねたのであります。

するとお釈迦様は、「それは難しいことではない。
無楼子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで数珠をつくり、
それをいつも手からはなさず、隙あるごとに、
心から御仏の御名を称えつつ(「仏法僧」と称えつつ)、
一つずつ、つまぐれば、おのずから心は静まり、
わずらいをのぞき、正しきに向い、
間違いのない政治をすることが出来る。」と仰せになりました。

これを聞かれた王様は、早速無楼子の実を沢山集めさせ、
千の数珠を作られ、親戚や家来どもに持たせ、
王様自身は、いつも手からはなさず、隙さえあればつまぐって、
心よりみほとけの御名を称えられたそうであります。

そして何日かたってから、王様は、お釈迦様をお招きして、
皆とともに法話を聞かれました。

これが数珠の始まりといわれています。

珠の数を百八とせられたのは、
私どもの心が百八にも動きかわり乱れるということからで、
これを俗に「百八の煩悩(ぼんのう)」といっています。

その乱れやすい心が仏の御教によって、
よき心に変わっていく、それを受け取らせようというので、
このように仰せられたようであります。

珠の中をつらぬいている糸は、
丁度仏の心を、私どもの心の中に通しているわけであって、
しかもそれを円く輪にしてあるには、
心が円く、素直になることを意味しているので、
心の平和を表しているのであります。

仏前やお墓にお参りする時は元より、
出来れば、いつも珠数を手にかけて、
自分の心をよきに導きたいものです。

このような意味をもったお数珠でありますから、
お数珠は、大切に取り扱うようにしたいものです。

例えば畳の上にじかに置くとか、人にわたすとき、
ぽいと投げたりするようなことは、避けたいと思います。

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「家紋について」最終話④墓石を飾る家紋

hndake.JPGのサムネール画像武家の誇りでもあった家紋も、元禄時代中期になると一般庶民の使用が自由になり、形も装飾的な面が強調されるようになりました。

そしてその用途も衣服だけに限らず広範囲に拡大してゆきましたが、その中でも家の印として現在でも根強く受け継がれているものに墓石の家紋があります。

 

「○○家之墓」という墓標は、
墓地へ行くとよく見られるものです。

最近では個人墓などもありますが、
元来お墓は「家」という意識が非常に強いもので、
墓石に家紋を彫り込むことが多いようです。

墓石のどこに彫るかは自由で、
様々なものが見られます。

棹石に彫られているもの、
上台、水鉢、左右の花立などが主な彫刻場所です。

多いものでは、一つのお墓に三か所という例もあります。

また、この習慣はニューデザイン墓石が増えてきている現在でも、
ごく自然に受け継がれています。

水鉢と花立に家紋を彫ることが多い様ですが、
外柵の門柱に彫ることもあります。

※写真は2008年度「墓石大賞」"大賞"受賞作品『半田家墓碑』
http://www.daiichisekizai.com/design/cat_cat152/08/

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「えべっさん」とは?

商売繁盛と家内安全を祈願する「十日えびす大祭り」が
昨日1月9日から各地で始まっています。

私も今朝、毎年恒例の「えべっさん」にお参りに行ってきました。
もちろん我が社の地元である、神戸市兵庫区の柳原蛭子(えびす)神社です。

「えべっさん」とは「神様」のことを「神さん」と呼ぶように、
関西人独特の親しみのある表現で、
全国的には「えびす様」または「恵比寿神」と
呼ばれている七福神の一人です。

もともとは持ち物の釣り竿と鯛からも分かるように海の神様ですが、
後に農業や商売の神様としても信仰されるようになりました。

恵比寿神様こと蛭子命(ひるこのみこと)は、
日本の国をつくったとされる、
イザナギの命(みこと)とイザナミの命の息子とされ、
七福神の中では唯一国産の神様とされています。

※コラム:天地のはじめ「神話から見る日本の原点」参照
http://pro.mbp-kobe.com/daiichisekizai/column/4118

しかし「夷」や「戎」とも書かれることから、
異民族の漂流者との説もあります。

恵比寿神様はあの福々しい顔に似合わず苦労人であり、
3歳まで足が立たず、それを理由に船に乗せて捨てられ
「えべっさん」の総本社・西宮神社がある西宮に漂流したとのことです。

またあの福耳にもかかわらず耳が悪いとされています。

また、国家の保護を受けていない格の低い神とされていますが、
そこが逆に判官びいきの関西にうけている理由でもあり、
また、関東ではうけなかった理由かもしれません。

ちなみに関東ではおなじ商売繁盛の祭りとしては酉(とり)の市があり、
これは国家的英雄とされる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祭っています。

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「家紋について」③菊の御紋章

菊の御紋章は、皇室の御紋章というだけではなく、
海外へ出るときに何より大切なパスポートの表紙のまん中に
「十六花弁菊紋」が光っています。

この菊紋は日本人としての証拠であり、
日本の国のシンボルなのです。

菊紋は菊の花を優雅にアレンジして図案化したもので、
さわやかな気品があります。

菊は仁徳天皇の時代に中国より伝来し、
宮中で始めは薬用として大切に扱っていたといわれます。

菊紋は後鳥羽上皇以来、
皇室の正式紋として受け継がれてきています。

徳川時代には葵の紋が脚光をあび、
一般の旗本や商家で使用する者が出てきたため、
幕府では葵紋の使用禁止令を出したほどです。

しかし、慶應三年の大政奉還により
将軍職の廃止とともに葵紋は失墜しました。

代わって王政復古により、
菊紋が権威を持つようになりました。

明治政府は明治元年(1868)由緒の有無にかかわらず、
皇族以外に菊花紋の使用を禁止しています。

十六花弁の菊花紋は天皇家のみ、
皇族は十四花弁の裏菊紋を用いるように定められ現在に至っています。

尚、菊花紋は皇室の定紋で、
替え紋として桐紋が使用されています。

政府の褒賞関係にはこの桐紋が使われます。

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「家紋について」②家紋は我が家のマーク

家紋とは、家の印で名字、
称号の目印として考えられた図柄です。

それらは、花や植物をテーマにしたものが数多くあります。

西洋にも紋章というものがあり、
王侯貴族や名家のシンボルマークとなっていますが、
モチーフはライオンや鷲、盾や矛、刀剣、槍などがほとんどです。

また、西洋の紋章は王侯貴族だけのもので、
一般市民すべてが家紋を持っているのは日本だけです。

家紋に表された図柄は、最も初期には
写実的なものもあったようですが、
それが家紋として発達するにつれて、
整形され対照的で洗練された形へと変化してゆきました。

これは家紋が元々識別を主な目的にしていたため、
あまり複雑なデザインではなく容易に見分けられる、
という条件の上で考えられたからでしょう。

家紋は歴史の中に忘れられた存在ではなく、
現在も脈々と息づいて暮らしの中に生きています。

例えば結婚式や披露宴での女性の留袖、
あるいは七五三のお宮参りでは、
紋付き袴を着た男の子が千歳あめを手に
ポーズををとっている光景を目にすることができます。

また、葬儀の時にも家の紋が入った提灯がかかげられ、
紋付き礼装の人々が焼香をしています。

もちろん、お墓にも和型墓石の場合
ほとんどの墓石に家紋が彫刻されています。

最近では、自分の家の家紋を知らない人もいます。
毎日意識することはありませんが、
自分の家の家紋は知っていた方がいいでしょう。

貸衣装を借りるときにも、
はっきり指定しないと、
適当な紋のものをあてがわれてしまいます。

また、家紋に関心を持つと、
いろいろと面白い歴史的な発見もあります。

家紋は元々「家」と「名字」を象徴したマークで、
男性専用とされていましたが、
江戸時代になると一般大衆にまで広がり、
女性専用の女紋も生まれました。

女紋はその家を代表する定紋にちなんで作られました。

女紋は定紋よりも小形で、格式ばった形より
細線で描いた優美なものが好まれたようです。

また、家格を重んじる家では、
他家に嫁ぐ娘は母方の家紋を染め抜いた
衣類や調度品などの嫁入り道具を、
婚家先に持参する習慣が各地で行われていました。

この紋を結婚後もそのまま使い、
女児が生まれると母方の紋を受け継ぎます。

このように女紋は母系で受け継がれてきました。

この女紋の扱いは地方によって違い、
結婚後は嫁入り先の家紋を用いる所もあります。

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