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社長ブログ お墓の情報満載!! 豆知識の最近のブログ記事

お墓には当たり外れがある?(4)短納期による当たり外れ/「雨の日のお墓の工事は絶対ダメ!」(神戸・兵庫の墓石編)

お墓はすぐ出来ると思っている消費者が多い

遺骨はなく生前に建てるお墓、「寿陵(じゅりょう)」の場合は、
完成引き渡しの納期はそんなに急がない場合がほとんどです。

しかし、亡き家族のご遺骨がある場合は、墓石を注文する以前に、
あらかたの納骨日を事前に決めておられる場合が結構あります。


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「四十九日法要を終えたら納骨したい」「春の彼岸に納骨したい」
「初盆に納骨したい」「一周忌法要時に納骨したい」などのケースです。

消費者の方々は、これらの納骨希望時期に合わせて、
石材店に墓石建立の相談や見積り依頼に行かれるのですが、
「墓石はすぐ出来る!」と思っている人は意外と多いのです。


「1カ月あれば出来る!」と思っている人も少なくありません。


まあ確かに、やって出来ないことはありませんが、
当社ではやりたくありませんし、お断りしております。


やはり、最低でも2カ月、出来れば3カ月以上は頂きたいですね!


それも、オーソドックスな伝統的な和型墓石ならの話です。

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ご希望に沿いながらデザインを起こして設計図を作成し、
デザインの修正や変更が生じる「デザイン墓石」などは絶対無理です!


墓石は注文生産品です

ほとんどの場合、墓石はご注文を頂いてからつくり始めます。


工業製品の様に、あらかじめ一定量を生産しておき、
消費者の注文に応じて出荷するという様な商品ではありません。

また、ファーストフードのように、注文を頂いてから、
数分で出来上がるといったたぐいの商品でもありません。

二つとして同じものがない、自然の産物である天然石を、
石職人の目と手で、慎重に吟味しながらつくり上げていくのです。


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石は自然のものだけに「良い石」「悪い石」があります。


しかし、納期に時間がなければ、つくり直す時間がありません。


そのため、製品精度に対して、妥協を許さない石職人は、
短い納期の仕事を引き受けることを極端に嫌うのです。


これは、国内加工だけではなく、中国においても同様です。


むしろ中国の方が、船便、通関などに要する時間を考えると、
国内で加工するよりも、余分に時間をみておく必要があります。


通常、中国加工の墓石製品は、石材商社を通じて発注します。


6124.jpg

そのため、発注した墓石製品の良し悪しが分かるのは、
出来上がった製品が日本に到着してから後のことです。

もし、納骨日の1週間前に墓石製品が中国から届き、
製品の一部に不具合があったとしたらどうなるでしょう?


日本でつくり直すにしても、同じ石がなかったらどうするのでしょう?


(1)事情を話して納骨日を遅らせてもらう。

(2)事情を話し、不具合はあるが、その状態で取り急ぎ納骨し、
    納骨終了後に、後日不具合のある個所の部材を取り換える。

(3)どうせ分からないだろうから、そのままにしておき、
    バレたらバレたで、その時になって対処を考える。

(4)納骨終了後にこっそりと部材を取り替える。


お墓の業界は意外と(3)とか(4)が多いのですよ...


当社では、こういった事態を防ぐため、必要以上の納期を頂き、
石材商社を通さず、直接中国の石材加工工場に発注し、
私自身が中国に出向き、製品検品をするようにしております。


6125.JPG


墓所での突貫工事もNGです!

石を切って加工するだけがお墓づくりではありません。


墓所内での工事もお墓づくりの重要な行程です。


6126.JPG

余裕のある納期があれば、耐久性に優れた基礎工事を行い、
十分に硬化させるための養生期間を確保することができます。

また、工事工程においても、天候の状態を見極めながら、
段階を踏んだ日程を組み、丁寧な施工をができるのです。


しかし、納期がなければそうはいきません。


時々、かなりの雨が降っているにもかかわらず、
テントを張って工事をしている風景を見かけます。



この工事、安心できますか?


納骨法要までの納期がなければ、このような悪天候の状況下でも、
無理をして工事をしなければならない様な事態になるのです。


墓所での突貫工事は絶対NGです!


このように、納期がなければ、いたるところに、
「ハズレ!」が当たる危険性をはらんでいるのです。


お墓づくりには時間があるにこしたことはありません。


ありすぎる位の日程を組んで石材店に依頼することが、
「短納期による当たり外れ」を防ぐ秘訣でもあるのです。


           ~つづく~




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神戸・兵庫のお墓・墓石の価格・値段はいくら?(3)指定石材店制度

(3)指定石材店制度

墓石の値段のお話をする前に「指定石材店制度」の説明をしておきます。


一般消費者にとっては、あまり聞きなれない言葉ですが、
これを知っておかないと、墓石の値段を調べても何の意味もないからです。


これからお墓を考える方々にとって、墓石のことよりも、
先ず知っておく必要があるのがこの「指定石材店制度」なのです。


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この「指定石材店制度」が定められている墓園・霊園では、
その墓園・霊園が指定した石材店以外でお墓を買うことができません。


つまり、この制度がある墓園・霊園で墓地を取得した以上、
墓石の値段が高かろうが、気に入ったデザインの墓石がなくても、
担当営業マンが気に入らなくても、とにかくその石材店でしかお墓は買えません。


それでも嫌なら、買った墓地をあきらめるしか方法はありません。


もちろん、霊園側に支払った墓地代は帰ってきませんが...。


民営霊園のほとんどにこの制度が定められています。


寺院墓地や共同墓地の一部でもこの制度が定められている場合がありますので、
墓地を購入する際には、事前によく調べておく必要があります。


お墓を購入する石材店を自由に選べてこそ墓石の値段を調べる価値があるのです。


そうなると、一番安心なのは何と言っても公営墓地です。


それは、どこの石材店でも自由に選んでお墓を建てることができるからです。


                                           ~つづく~


■石材店が教えてくれない本当に知りたいお墓の話「知らない人が損をする"指定石材店制度"とは」

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お墓と宗旨・宗派⑯最終話:単立寺院

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/

■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/

■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/

■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/

■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/

■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/

■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/101304/

■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/111654/

■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/011343/

■お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/041535/

■お墓と宗旨・宗派⑮真言律宗/西大寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/061137/

上記のコラムからのつづきです。

これまでに、日本の十三の宗派についてご紹介してきましたが、
とりわけ、戦後になってから既成の宗派から独立して新たな宗派を名乗り、
単立となった寺院も少なくありません。

今回はその中からいくつかの寺院をご紹介いたします。

ただし、教理的には独立以前と変わらないところがほとんどです。

 

浅草寺.jpg 

 

先ずは東京浅草の浅草寺。

もともと法相宗の系統だったと思われますが、
平安時代のはじめに慈覚大師円仁が訪れて天台宗に改宗しました。

しかし、浅草寺は「浅草の観音さま」の名で親しまれ、
本尊の聖観音は宗派を超えて多くの人々の信仰を集めています。

このことから、戦後、聖観音宗として天台宗から独立いたしました。

 

法隆寺.jpg 

 

奈良の法隆寺は創建623年の古刹で、
興福寺や薬師寺と同じ法相宗でした。

しかし、ここも戦後になって聖徳太子のゆかりの深い寺院ということで、
聖徳宗を名乗り、法相宗とは一線を画することになった。

 

四天王寺.jpg 

 

また、大阪の四天王寺は推古天皇の元年(593)に、
聖徳太子によって創建された古刹であります。

当初は特に宗派に属することなく、
多くの人々の信仰を受け入れてきましたが、
中世から戦後までは天台宗に属していました。

しかし、終戦後、昭和21年(1946)に
天台宗から独立して和宗総本山を名乗りました。

これは聖徳太子が重んじた和の精神に基づくもので、
宗派を超えて万人を受け入れる姿勢を示したのであります。

 

清水寺.jpg 

 

平安時代のはじめに創建された京都の清水寺は、
長らく興福寺の末寺で法相宗に属していました。

しかし、大正3年(1914)に興福寺住職で
法相宗の管長だった大西良慶師が入寺しました。

当時、衰退していた寺を復興し、昭和40年(1965)に
法相宗から独立して北法相宗と改めました。


このように、戦後になって単立寺院となったところは他にも多く見られます。



         ~おわり~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1938号



 

 



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お墓と宗旨・宗派⑮真言律宗/西大寺(奈良県)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/

■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/

■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/

■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/

■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/

■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/

■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/101304/

■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/111654/

■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/011343/

■お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/041535/

上記のコラムからのつづきです。

戒律は仏教徒の守るべき規律で、
これに従って修行をすればやがては悟りを開くことができるとされています。

在家の信者には五戒という五つの戒が定められています。

不殺生、不妄語、不偸盗、不飲酒、不邪婬の五つで、
これを守れば在家の者でも悟りの境地に至ることが出来ると言います。


そして、出家の修行僧には、男性の僧侶で二百五十戒、
尼僧には三百四十八戒という厳しい戒律が定められています。

このような戒律は奈良時代の中頃、鑑真和上が伝えたもので、
当時は奈良の東大寺、太宰府の観世音寺、
下野(栃木県)の薬師寺が天下の三戒壇として栄え、
仏教の基本である戒律が重んじられました。

また、鑑真和上は唐招提寺を創建して戒律の基本道場としました。


しかし、平安時代の後半になると、戒律は乱れ、
その内容を熟知する者も少なくなりました。

天下の三戒壇もすっかり衰退して、
有名無実のものになっていました。

そのような状況の中、平安時代の末になると、
戒律の復興に尽力する僧侶が現れました。

                                                            

 

真言律宗・西大寺.jpgのサムネール画像 

 

真言律宗総本山・西大寺

中でも、西大寺の叡尊(1201〜1290)は密教をはじめ、
法相宗など諸般の教理に通じていましたが、
それとともに戒律を詳細に研究して鑑真以来の律宗の復興に尽力し、
西大寺を律宗の根本道場にしました。

真言密教の教理と律宗の教理がどの程度、
融合したかについて詳細は不明でありますが、
後に西大寺の律宗を真言律宗と呼ぶようになりました。


また、叡尊の弟子の忍性(1217〜1303)は
北条長時に招かれて鎌倉に下り、
極楽寺を開いて戒律の普及に努めました。

彼は困民救済た架橋、道普請などの社会事業を行い、
忍性菩薩と称賛され、鎌倉に戒律の基盤をつくりました。


明治28年(1895)、奈良の西大寺を総本山と定め、
鎌倉の極楽寺や横浜の称名寺など、
数十ヵ寺が真言律宗として活動しています。



          ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1933号



 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方 



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お墓と宗旨・宗派⑭日蓮宗/身延山久遠寺(山梨県)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
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■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

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■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
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■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
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■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

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■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

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■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

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■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

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■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/101304/

■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/111654/

■お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/12/011343/

上記のコラムからのつづきです。

開祖の日蓮聖人(1222〜1282)は安房(あわ・千葉県)に生まれ、
12歳のとき、近くの清澄寺という天台宗の寺で出家しました。

しかし、ここで修行するうちに天台や浄土の教えに疑問を抱き、
さらなる道を求めて比叡山に登りました。

 

日蓮宗・曼荼羅.jpg 

 

日蓮宗 曼荼羅

11年間にわたって比叡山で修行と勉学に励み、
ついに『法華経』こそ唯一最高の教えであることを覚ったといいます。

比叡山を下りた日蓮は大阪の四天王寺や高野山などを巡歴したのち、
故郷に帰って僅かな知人や帰依者を集め、
「妙法蓮華経(法華経)」の5文字の題目に
釈迦一代の教えが凝縮されていることを説きました。

これが、日蓮宗の開祖宣言になりました。


その後、鎌倉に出て辻説法をして信者を獲得しましたが、
同時に他宗を激しく攻撃したため迫害されることにもなりました。

日蓮の論調は熾烈を極め、『法華経』を信じなければ、
天変地変が起きたり外敵の侵略を受けると公言してはばからなかった。

そして、『立正安国論』を著して幕府を批判したことから、佐渡に流されました。

佐渡から帰った後は身延(山梨県)に草庵を結び、
弟子の育成と著作に専念しました。


晩年は体力も衰えて病気がちでした。

60歳の秋、厳しい身延の冬を避けて常陸(茨城県)に湯治に向かう途中、
今の池上本門寺の地で最後を遂げました。


日蓮は生前、日昭、日郎、日興、日向、日頂、日持の
六人を本弟子(六老僧)と定め、日蓮亡き後のことを託しました。

六老僧のうち、日向と日興との間に確執が生じ、
結局、日興は富士に拠点を設けて分派を生じました。

この日興の分派が日蓮正宗であります。

 

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日蓮宗総本山、山梨県の身延山久遠寺

現在、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のほか、
富士の大石寺を本山とする日蓮正宗、法華宗、本門宗、
本門仏立宗、日蓮宗不受不施派など多くの分派があり、
それぞれ独自の活動を展開しています。

また、在家信仰団体として、立正佼正会、霊友会、創価学会などがあります。



        ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1930号

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方



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お墓と宗旨・宗派⑬黄檗宗/万福寺(京都府宇治市)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
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■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

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■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
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■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

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■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

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■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

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■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

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■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

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■お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)

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上記のコラムからのつづきです。

9世紀、中国福建省福州府の黄檗山という聖山を拠点に、
希運という禅僧が開いた一派です。

この山には、染料や薬用にする黄檗(キハダ)という
樹木が多いことから黄檗山の名前で呼ばれていました。

希運の門下には臨済義玄があり、
臨済宗の祖となったことは周知の通りであります。

                                                                                                                                                                                                                                

黄檗宗・崇福寺.jpg  

黄檗宗初伝の寺、長崎市の崇福寺

日本には江戸時代のはじめに、長崎の華僑の人たちが超然という
中国の禅僧を招いて崇福寺を建立したのが黄檗宗の初伝であります。

その後、承応3年(1654)、インゲン豆を伝えたことで知られる、
隠元隆琦(いんげん・りゅうき 1591〜1673)禅師が、
崇福寺の逸然らの懇願により、長崎にやって来て伝えました。


63歳で来日した隠元は長崎の諸寺に留まり、
後に江戸に招かれて徳川綱吉に謁見して信任を得ました。

綱吉は隠元の学徳を高く評価し、山城国宇治に寺領を賜り、
ここに黄檗宗の大本山を創建するよう命じました。

 

黄檗宗大本山・萬福寺.jpg  

 

京都府宇治市にある黄檗宗大本山・萬福

以降、隠元の采配のもと8年の歳月をかけて
寛文3年(1663)に伽藍の竣工を見ました。

隠元の後も江戸時代の後半まで万福寺の住職は中国僧がつとめ、
純中国式禅風を根付かせました。


その宗風は臨済宗に近いが、明代の念仏禅を加味した
浄土信仰と禅との融合を説くところに特徴があります。

読経は中国南部の福建語の発音で行うため、
他宗の読経とは異なる独特の響きがあります。

 

マカラ.jpg 

 

屋根上左右に乗る摩伽羅(マカラ)という想像上の生物

また、建物などは中国式の独特のもので、
屋根の上に鬼瓦の代わりにマカラという空想上の魚が乗るのが特徴です。

さらに、行事や法要も他宗に見られない独特なものが少なくありません。

9月には普度勝という中国式のお盆が行われるほか、
海上交通の守護神として信仰されている媽祖を本尊とする媽祖祭、
関帝祭や元宵祭などの中国の行事が行われます。

現在は宇治万福寺を大本山として、
全国に400ヵ寺ほどの末寺があります。



        ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1927号



 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方



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お墓と宗旨・宗派⑫曹洞宗/永平寺(福井県)・総持寺(横浜市)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/

■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/

■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/

■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/

■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/

■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/

■お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/101304/

上記のコラムからのつづきです。

禅宗は達磨大師からはじまりますが、
第六祖に慧能(えのう)という禅僧が出て、
曹渓という山に住んで今日の禅宗の基礎を築きました。

そして、慧能の弟子に良价(りょうかい・809〜869)という禅僧が輩出し、
洞山という山に住んで禅風を広めました。


師の慧能が住んだ曹渓と、
弟子の良价が住んだ洞山をとって
曹洞宗と名付けられました。

宋代(8世紀)頃からは臨済宗とともに
中国の禅宗の二大流派として栄えました。

道元(1200〜1253)が入宋して、
洞山第十三世、天童如浄に教えを受け、
足掛け5年に及ぶ留学生活を終えて帰国し、
曹洞禅を広めたのです。

永平寺.jpg

 

曹洞宗大本山・永平寺(福井県)


道元は越前(福井)に永平寺を開き、
禅風を広め、日本の曹洞宗の基盤を確立しました。

道元の禅は只管打坐(しかんだざ)といい、
文字通りひたすら座禅に専念することを旨としました。

しかも、その座禅はただ座って瞑想することではなく、
掃除や炊事など日常の雑務、あるいは、洗面や入浴、
トイレに行くなど日常の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、
すべてを座禅ととらえ、それらの行動に専念することで、
悟りの境地に至ると考えたのであります。

道元の後には『正法眼蔵隋聞記』を筆録した
永平寺第二世・孤雲懐弉(こうんえじょう)が輩出して、
道元禅の普及を図ったのです。

総持寺・祖院.jpg
 

 元の曹洞宗大本山、能登の総持寺祖院(石川県)

しかし、第三世・徹通義介の弟子に
螢山紹瑾(けいざんしょうきん)が輩出し、
彼は道元禅の改革を図り、
後に能登に総持寺を開いて永平寺とは一線を画しました。

ここで、曹洞宗は永平寺と総持寺の系統に
分かれることになったのであります。


以降、両者の間には確執が生じ、
一時は戦争になったこともありました。

しかし、江戸時代になると、徳川幕府の配慮で
永平寺と総持寺を同格の大本山と定め、
その後は、両山の住持が交替で曹洞宗の最高権威である
管長を務めることになりました。

現在、曹洞宗は末寺約1万6千ヵ寺を擁し、
浄土真宗に次ぐ、わが国最大級の宗派を形成しています。

総持寺.jpg 

 曹洞宗大本山・総持寺(横浜市)


ちなみに、能登の総持寺は明治31年(1898)に火災に遭い、
これを契機として明治44年(1911)に横浜市鶴見区に移転しました。

ただし、能登の総持寺はその後、再興され、
今も総持寺祖院と呼ばれて多くの信者を集めています。



          ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1924号

 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方



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お墓と宗旨・宗派⑪臨済宗/建長寺派(鎌倉)南禅寺派(京都)など14派

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/241430/

■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/

■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/221247/

■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/

■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/

■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/

■お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/11/091431/

上記のコラムからのつづきです。

9世紀に中国で臨済義玄(?〜867)という禅僧が創始した禅宗の一派で、
その門下に優れた弟子を輩出して大いに栄えました。

日本には栄西(1140〜1215)が入宋して臨済宗の教えを受け、
建久2年(1191)に帰朝して伝えました。

 

建仁寺.jpg 

臨済宗・建仁寺派大本山「建仁寺」


この時代、日本では天台宗などの既成宗派の勢力が強く、
禅宗のような新しい宗派が受け入れられるにはまだ時期尚早でした。

そこで、栄西は京都に建仁寺を創建したが、
そこを禅宗の専門道場とはせずに、
密教、天台、禅の三宗兼学道場として、
天台宗などからの批判をかわしました。


一方で鎌倉時代になると禅は武士の間で人気を集めました。

栄西は北条政子の招きで鎌倉に赴き、
ここで頼朝の菩提を弔うために寿福寺を創建しました。

これが最初の禅宗専門の寺院であります。

建長寺.jpg

  

 

臨済宗・建長寺派大本山「建長寺」


その後、建長5年(1253)には建長寺が建立されたのをはじめとして、
北条氏の保護もあって臨済宗は鎌倉を中心に栄え、
鎌倉五山(禅宗で最高の格づけをされた五大寺)も整備されました。

相国寺.jpg

 

臨済宗・相国寺派大本山「相国寺」


室町時代になると足利氏が臨済宗を厚く保護し、
天龍寺、相国寺を創建して五山の筆頭に据え、
臨済宗は室町時代を通じて大いに栄えました。

江戸時代になって徳川幕府は各宗派を平等に扱いましたが、
やはり、武士に好まれる禅宗は各藩で人気があり、
禅宗の寺院は総じて栄えたのでした。


禅宗のもう一つの宗派である曹洞宗が参禅修行(実践)に重きを置くのに対し、
臨済宗は座禅とともに公案(仏教について考えるきっかけとなる課題)を重んじ、
参禅と公案の解読を繰り返すことによって、悟りに至ることを目指します。

南禅寺.jpg

 

 

臨済宗・南禅寺派大本山「南禅寺」


多くの分派が生じ、現在は鎌倉の建長寺派や円覚寺派、
京都の南禅寺派や妙心寺派など14派に分かれ、
それぞれの派で活動をしています。


観光地で有名な京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は
臨済宗・相国寺派に属しています。



         ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1922号



 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方



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お墓と宗旨・宗派⑩融通念仏宗/大念仏寺(大阪市)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/200808/

■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/220902/

■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/08/281614/

■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
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■お墓と宗旨・宗派⑥真言宗/高野山・金剛峯寺(和歌山県)
https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/09/271004/

■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/031034/

■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

■お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/211111/

上記のコラムからのつづきです。

平安時代に念仏を信仰していた良忍という人が創始しました。

良忍は比叡山で出家し、その後、京都の仁和寺で密教の秘法を授かりました。

後に、大原に隠棲して念仏を広め、
さらにお経に節をつけて歌い上げる声明に巧みで、
京都・大原の地を声明の根拠地としました。


そして、良忍は大原の里で念仏三昧に専念するうちに、
ある時、阿弥陀如来から「速疾往生(そくしつおうじょう)」
(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)
の偈文(げぶん)である「人一切人(ひとりいっさいにん)、
一切人一人いっさいにんひとり)、一行一切行(いちぎょういっさいぎょう)、
一切行一行、一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、
十界念仏、融通念仏、億百万編、功徳円満」という言葉を授かったと言います。

 

万部おねり.jpg 

 

融通念仏宗大本山/大念仏寺最大の伝統行事「万部おねり」
 

一人の念仏がすべての人に行き渡るということ。

つまり、一人が念仏を称えれば、それはすべての人の功徳となり、
また、すべての人の念仏は自分の功徳ともなるということであります。

そして、自他の念仏の功徳によって浄土に往生しようとするものであります。

毎朝、西方に向かって良忍の説いた十界一念・自他融通の
浄土往生を期する念仏(融通念仏)を十唱することなどを日課とします。


良忍の融通念仏は専修念仏の先駆であり、
その後、確立した法然上人の浄土宗や
親鸞聖人の浄土真宗の先行的形態と内容を持つとも言えます。

ただ、良忍の時代の融通念仏は勧進行脚が主で、
仏教宗派としての組織を持たず、時宗のように人々が集まって念仏を称え、
その念仏が融通し合うということに重きが置かれたのでした。

 

大念仏寺.jpg 

 

融通念仏宗大本山/大念仏寺
 

また、大阪平野区の大念仏寺をはじめ、京都の清凉寺や壬生寺などで
融通念仏が盛んになり、今も壬生寺などには融通念仏の中興者である
円覚上人による大念仏狂言が伝えられています。


しかし、拠点になる特定の寺もなかったことから、良忍の没後は衰退し、
その法系はしばしば途絶えることもあったが、細々と命脈を保ってきました。

融通念仏の寺も他宗派の寺院となり衰退の一途を辿りました。


元禄年間(1688〜1703)に、融通念仏再興の祖とされる
大念仏寺第四十六世の大通が融通念仏の復興に努め、
「融通円門章」等により教義を明らかにし、一宗としての体裁を整えました。

現在では、大阪の大念仏寺が大本山となっています。



          ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1919号



 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
・東海地方
・近畿地方
・中国・四国地方



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お墓と宗旨・宗派⑨時宗/清浄光寺(遊行寺)(神奈川県藤沢市)

■お墓と宗旨・宗派①宗派について
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■お墓と宗旨・宗派②法相宗/興福寺・薬師寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派③華厳宗/東大寺(奈良県)
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■お墓と宗旨・宗派④律宗/唐招提寺(奈良県)

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■お墓と宗旨・宗派⑤天台宗/比叡山延暦寺(滋賀県・京都府)
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■お墓と宗旨・宗派⑦浄土宗/知恩院(京都府)

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■お墓と宗旨・宗派⑧浄土真宗/西本願寺・東本願寺(京都府)

https://www.daiichisekizai.com/blog/2012/10/110945/

上記のコラムからのつづきです。
 

時宗の基をつくった一遍上人は伊予(愛媛県)の豪族の子に生まれ、
若くして出家しましたが、後に家督を相続するために、
還俗(出家した者が元の俗人に戻ること)して妻をめとり子供ももうけました。

しかし、一遍を亡き者にしてまで家督を奪おうとする親族の醜い争いに失望し、
再び出家して一所不住の遊行の旅にたったのです。

一遍は終生に渡り遊行生活を続けたので遊行上人と呼ばれています。


彼は全国を巡り歩いて「南無阿弥陀仏」と書かれた札を配って人々に往生を約束しました。

そして、念仏を唱える喜びのうちに信者とともに踊り、
それが後世にに伝えられる「踊念仏」となり、
さらには「盆踊り」の起源ともなったと言われています。


また、一遍はあらゆるものを投げ捨てて「南無阿弥陀仏」を唱えることを説き、
自らも最後にはわずかに持ち歩いていた教典や自分の著作を
「一代の聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」
と言って焼き捨ててしまったとのことです。

このことから彼はまた「捨聖(すてひじり)」とも呼ばれています。


時宗の本義は「時衆」で、ある場所に縁を得て参集した人々が念仏をとなえ、
賦算(時宗独自の行事であるお札配り)を受けることによって往生が確立します。

そして、その場所を離れた後は皆が往生することを約束されているから、
参集して念仏をとなえたり、修行をするための道場や寺院は必要ない、
というのが一遍の考えでした。

したがって、一遍は文字通り一所不住の遊行生活をして、
寺院を建立したり、宗規を定めたりすることはなかったのです。

時宗総本山・清浄光寺(遊行寺).jpg 

時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)

しかし、一遍の没後、彼の弟子たちが徐々に教団を整備し、
第二世の他阿上人のときには宗規を確立し、
第五世安国にいたって藤沢の清浄光寺(遊行寺)を本山と定めて今日に至ります。

現在、400余りの寺院があり、浄土宗、浄土真宗と並ぶ、
浄土系宗派の一大勢力となっています。



           ~つづく~



※引用文献:日本石材工業新聞 第1917号


 

【墓石建立可能地域】
・兵庫県・神戸市及び関西地方
・東京周辺の首都圏
・関東地方
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